さぬき市津田の地で開業してから13年が経とうとしています。
私は、自宅からクリニックまで車で通うのですが、高松から津田へ向かう羽立峠を越える時に見えてくる海の景色に一日のパワーをもらっています。
開業から11年目に、当初の開業地である津田町「鶴羽」から少し離れた「神野」に新設移転をしましたが、鶴羽の地名から名付けた「つるわクリニック」の名前はそのままにしています。
それは、私たち医療法人社団百寿会の医療理念が「目指せ! 百歳までの自立」であり、昔から長寿で縁起がいい生き物とされている鶴は、まさしくシンボルであると考えるからです。
日本地名大辞典によると、鶴羽の地名は、ヤマトタケルの神霊が白鳥と化して西に飛んだとき、当地に憩い、一片の羽毛を残したという伝説にちなむそうです。
クリニックの玄関先の花壇には、本物と見紛うほど精巧に作られた鶴のフィギアがたたずんでいます。
ドイツのフィギアメーカーであるSchleichさんが特別に製作し、当院の移転開業の際に贈ってくれたものです。(この場を借りて改めて感謝申し上げます。)
まるでヤマトタケルの伝説のように鶴の舞い降りたクリニック・・・
ぜひ、元気な時にもお立ち寄りいただき、その鶴の凜とした立ち姿に癒やされていただければと思います。
私は、診察の際に「医者と患者」ではなく、「人と人」として向き合うことを心がけています。
健康上の相談に関して、遠慮なくお気軽にお話しいただけたら幸いです。
地域の皆様にとって、信頼できるかかりつけ医であり続けることへの努力を怠らず、常に最新と最善を尽くす医療を目指します。
また、この地域の一員として、地域を盛り上げていくことにも注力したいと考えていますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
医療法人社団 百寿会 つるわクリニック
理事長/院長 髙橋 敬冶
目指せ!百歳までの自立。
私たちは誰でも、加齢とともに身体能力が衰え、複数の持病を抱え、どんなに身体に気を付けていても時には大きな病気になることがあります。また、人にはそれぞれの寿命があり、100歳まで自立して生きることが素晴らしい、という価値観が正しいわけではありません。
「目指せ!百歳までの自立。」は、私たちにとって合言葉であり、当院に通院される患者さんが疾病を抱えながらも、日々の生活をその人らしく、明るく前向きに過ごすための元気づけであり、応援の意味を込めています。
つるわクリニックは、診療所として、皆様の身体上の不健康な状態について丁寧に症状をお聞きし、必要な検査・治療を迅速に実施、最善を尽くす医療を心掛けています。
若い世代の患者さんの感染症等は、その時の治療で終わり、一時的な関わりになりますが、中年期以降の生活習慣病、高齢者の慢性疾患については、疾病だけを診るのではなく、その人の生活習慣・家族・仕事・価値観・感情・ストレスといった様々な要因に耳を傾ける必要があります。
そのために必要なことは
●院長だけでなく、職員一人一人が患者さんにとっての相談役であること。
●日常の出来事や、他愛もない話ができる雰囲気づくり。
●診療所でありながら、地域のコミュニティであるという意識。
だと考えます。
また、医療法人社団百寿会 七箇条に則り、職員一人一人が地域の皆様を支えるという役割を担っているという自覚をもち、身体の不調があり、当院を訪れる患者さんを温かい気持ちで迎えられるよう自分自身を高めながら、日々の業務を行う所存です。
私たちの目標は、皆様にとっての「パワースポット」になることです。
青海波(せいがいは)は、無限に広がる穏やかな波に未来永劫と平和な暮らしへの願いが込められた吉祥模様の一つです。
風光明媚な津田の海への敬意、地域の皆様の御健康と御多幸を願う気持ちを込めて診察券のデザインといたしました。
また、当院のロゴマークの鶴の名前は、「ひゃっぴい」です。
平成30年9月、百寿会創立の際にロゴマークを設定しましたが、名前はまだありませんでした。
令和4年7月に名前の募集をし、43名の方からご応募いただき、院長・スタッフで話し合って名前を決めました。
「(百寿会の)ひゃく+ハッピー」で「ひゃっぴい」。
皆様の心をほっこりさせる存在になれたらと思います。
1982年 | 徳島大学医学部卒業 徳島大学医学部第二外科入局 |
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1986年 | 徳島大学医学部研究科入学 |
1989年 | 徳島大学医学部附属病院入職 |
1995年 | 徳島大学医学部大学院担当講師 |
1998年 | セントルイス・ワシントン大学医学部留学 |
2000年 | 帰国、徳島大学医学部講師 |
2001年~ 2010年 | 四国内の基幹病院での勤務を経て、医療法人社団ききょう会に入職 つるわクリニック院長となる。 |
2018年 | 医療法人社団 百寿会を設立。 理事長、院長として現在に至る。 |